22.ありがたい話

お寺さんをお詣りし、仏様を拝み、ありがたい気持ちになられる現代人はどれ程おられるのでしょうか?
「妙好人」と呼ばれる浄土真宗のお年寄は、何に対しても深い感謝を込め、
ありがたそうに「南無阿弥陀仏」を唱えられます。
そのお姿はすでに悟りの境地です。「妙好人」とまでは行かなくても、ありがたいという気持ちは持ちたいものですね。

【念仏】

「南無阿弥陀仏」という言葉ですが、「南無」は敬称ですので「尊いあみだ様」という言葉です。
あみだはインドのサンスクリット語で「アミターユース」(無量寿)「アミターバ」(無量光)のアミタです。

「無量寿」とは計り知れない時間の事です。
「無量光」とは計り知れない空間をいいます。
無限の過ぎ去った時間と果てしない未来の時間の「今」。
無限の彼方まで続く宇宙の広がりの中での「ここ」。

私達の人生は、いつどこにいても常に
無限の時間のうちの「今」と
無限の場所のうちの「ここ」があります。

今この瞬間、この文章を読んでおられるあなたは、無限のうちの奇跡的な時間と場所におられます・・・そして、この文章をつづった私の存在も、人間としてこの時代にいること自体が奇跡的な事です。
まさにあなたは奇跡的な有り得ない事に遭遇されているのです。

有り得ない事、すなわち有難い事です。
宇宙の時間からすれば、私達の人生であるたかだか100年は一瞬です。
でも常に有難い事の連続です。
感謝を表す日本語の「ありがとう」という言葉のなんと深遠なことでしょう!

ありがとうございました。