7.添水(そうず)

詩仙堂の石川丈山の考案による添水は、僧都という人のことです。

添水

【添水】

奈良時代の終わりから平安時代にかけて、玄賓僧都(げんびんそうず)という高徳の僧が天皇に召されました。
しかし玄賓は名声を嫌い、奈良の「山の辺」を出て、丹波や備中の田舎を転々とします。
世間では、山田を転々とする玄賓僧都の事を山田僧都と呼ぶようになりました。

備中国・湯川寺に滞在していた山田僧都は、収穫の秋になると、農夫のいでたちで、雀やカラスを追い払い、農民たちに大変感謝されました。
「山田の案山子(かかし)」とは、案山子役のを引き受けてくれた山田僧都の事を農民たちが親しみを込めて呼んだものです。

石川丈山は、この故事により、鹿や狸を追うこの道具を、玄賓僧都の陰徳を偲んで「僧都」と名付けました。
ししおどしとも言いますが、これは昭和32年に苔寺で同じものが作られ、「鹿おどし」と表示されて以来、拝観者の多かった苔寺での呼び名が一般化したという事です。